北前交易の伝統が息づく 石川県白山市美川

【おかえり祭りの里】ふるさと美川のご紹介 


 

おかえり祭りの里、白山市美川は、白山・手取川伏流水に恵まれた地域で、美川仏壇、美川刺繍やふぐの糠漬け等で知られています。

 

美川漁港もあり、日本海から上がったばかりの新鮮なお魚も楽むことができます。 

そんな白山市美川をご紹介いたします。

 

 

美川から見える真冬の白山
美川から見える真冬の白山

 

美川は、白山の百年伏流水として、水の神様である霊峰白山を源とした伏流水がわき上がる河口域にあります。

町内を流れる安産川
町内を流れる安産川

【伏流水の川・安産川(やすまる川)とトミヨ】

伏流水の川・安産川は、手取川の最下流部に合流する支流です。

 

源流は河口より約4km上流の白山市水島地内で、全長2.2kmととても短いです。

手取川扇状地の最も先端部に位置しており、川床から伏流水が湧き上がっています。

このため、水温は一定しており夏でも14~20度前後で、湧水のシンボルともいわれるバイカモ(梅花藻)を見ることができます。

 

安産川のバイカモ
安産川のバイカモ

そして、この安産川にはトミヨがすんでいます。

トミヨは夏でも15度前後の湧水の出る清流にすむ冷水魚で、“幻の魚”といわれています。

このためトミヨがすむ川は清流の証明となります。

 

トミヨは「いしかわレッドデータブック・絶滅の恐れのある野生生物」で、絶滅危惧1類(絶滅の危機に瀕している種)に指定されています。


トミヨがすむ安産川を守るため、地元の“はりんこ熟”のみなさんの弛まない活動があります。

白山美川伏流水群の大浜の水
白山美川伏流水群の大浜の水

この安産川の畔には多くの伏流水が湧き出ており、平成20年5月、手取川扇状地扇端部の湧水群として、『白山美川伏流水群』と命名され、平成の名水百選に選ばれました。

 

伏流水群には、●お台場の水、大浜の水、やすまる銘水、すいはの水、呉竹水荘、蓮池の水があり、多くの皆様に名水として親しまれています。

 

名水の場所は こちら からご覧ください。

 

この白山手取川伏流水を活用して、味噌やふぐの糠漬けの漬物などの醸造業、豆腐などの食品加工業だけでなく染色産業も栄え、美川の発展に大きく貢献しました。

【加賀の千代女と伏流水】

「朝顔に釣瓶とられてもらい水」で名高い加賀の千代女は12歳の時に、本吉(白山市美川)の師匠北潟屋半睡宅(本吉藤塚社東田圃の三葉庵)に住み込みして俳句を学んでおり、「朝顔に釣瓶とられてもらい水」の作られた場所は本吉(白山市美川)であろう言われています。


この伏流水の豊かな美川の地でこの名句は誕生したのですね。


パワースポット安産日吉神社
パワースポット安産日吉神社

【安産のパワースポット・安産日吉神社】

 安産川の畔には安産日吉神社があります。

 

安産川は霊峰白山を源とし、昔から『この川の水を飲むと子宝・安産に恵まれる』という言い伝えから“安産のパワースポット”として、安産を願うみなさんが参拝されています。

生しらす丼
生しらす丼

【しらすと伏流水】

また、白山の手取川伏流水は美川の海底にも湧き上がっています。

 

初夏には、そこに、かたくちいわし等が産卵し“生しらす”が発生します。

 

美川漁港ではこの「しらす」を釜揚げして天日干しにして販売しており、大変人気があります。

これも伏流水の恵みですね。

 

夜明けを待つ美川漁港
夜明けを待つ美川漁港

【美川漁港】 

美川漁港で水揚げされる『美川天然真鯛』は、白山市農林水産物ブランドです。

 

マダイの習性を利用しロープで脅しながら網に追い込み巻き上げる、伝統的な「ごち網漁」が特徴で、この漁法で獲るマダイは活きが良く、魚体に傷があまり付かない綺麗な状態で水揚げされます。

 

綺麗な状態で水揚げされた真鯛はストレスが少なく、とても美味しいと評判です。

 

美川の料理店で頂くことができます。

 

また、4月~11月までは、毎日早朝に、漁船から上がったばかりのお魚の直売が行われ、多くの市民でにぎわいます。町内にも鮮魚店は多数あり、加盟店である島清鮮魚店・西貞鮮魚店のお魚は大変人気があります。 

美川は鮮度の良いお魚が食べられる地域です。

 

美川漁港の幸福丸
美川漁港の幸福丸

水揚げされた魚は、白山市内(美川地域)の料理店、寿司店で提供されています。


また、ヒラメ・カワハギなどをとともにイワシなどの青物もとっても旨いです!イワシは古くから美川でよく取れた逸品で「海のニンジン」とも言われる栄養価の高い食材です。塩茹で・和え物・コブ〆などなどで頂きます。

「美川の漁港は海が荒れると漁に出れない日が続く」と「幸福丸」の船長の福岡さんの弁。


この美川漁港から水揚げされた海産物を利用して、ふぐの糠漬け等の漬物産業やさつま揚げや蒲鉾等の食品産業も栄えました。

秋の手取川と白山と
秋の手取川と白山と

【釣りのメッカ・手取川】

美川は手取川の河口です。春はスベリ、夏はアユ、秋は鮭が遡上する釣りのメッカです。

 

手取川の鮭は日本の南限の鮭です。

鮭が帰ってくるためには秋に20度を下回る水温であること、清らかで豊かな水量があること、砂礫質の河床に形成されていること等が必須条件です。

手取川サーモンフィッシング
手取川サーモンフィッシング

 

2702mの標高を持つ水の神が宿る白山と、急峻な流れを持つ手取川が鮭が産卵する条件を整えています。

 

また、平成12年から始まった「手取川サケ有効利用調査実行委員会」から公募されるサーモンフィッシングには全国からの応募があって1500人の釣り人が手取川を訪れ80センチを越える大物を釣り上げます。

 

手取川のスベリ漁
手取川のスベリ漁

【手取川河口のスベリ漁】

イサザとも呼ばれていますが、美川ではスベリと呼んでいます。石川県内では穴水町などで3月1日より漁が始まり、四月中ごろ手取川で最盛期となります。

 

美川では、固定式の網は使わず移動式で漁をしています。

すべりは小さな魚ですが、穴水から美川まで回遊してきているそうです。

 

このスベリは、美川の料理店などで頂くことができます。 

夕日のきれいな秋の美川海岸
夕日のきれいな秋の美川海岸

【夕日のきれいな美川海岸】 

日本海に沈む美川海岸の夕日はとても綺麗です。

 

平加の海岸と美川の海岸には、駐車場も数十台泊まれるスペースがあるので、温かい季節には多くのみなさんが集まってきます。

 

海釣りを楽しむお客さんも大変多くて賑わいます。

 

夕日のきれいな春の美川海岸
夕日のきれいな春の美川海岸
松露の育つ美川の松林
松露の育つ美川の松林

【日本のトリフ=松露】

松露と書いてショウロと読みます。

 

日本のトリュフとも言われ、幻の食材と言われています。

この松露は松林の防風林がある美川の特産物です。

 

松露は浜辺の松の下で育ちます。

木漏れ日を浴び、松の葉が少しだけ残っているような松の根にできるそうです。

 

キノコですから鮮度が勝負です。地元で食べるのが一番ですね。

ごくわずかしか捕れませんが、食感は独特の風味があり、グルメのみなさんにはとても人気があります。

 

ぜひ、美川の料理店でご賞味ください。

手取川のコアシザシ
手取川のコアジサシ

 【野鳥の宝庫・手取川】

手取川の河口には渡りの鳥がやってきてしばし羽を休める休憩地です。その数約120種、日本でお目にかかれる多くの種類の鳥がこの手取川で見られます。

 

特に雄が雌に食事をプレゼントする「コアジサシ」(環境省レッドデーターブック絶滅危惧II類)のコロニーは全国に26箇所しかない希少価値のあるものです。5月~9月にかけて卵を産み集団でコロニーをカラスなどの外敵から守りながら子育てをするその姿は感動に値します。


木曾街道の美川中町通り
木曾街道の美川中町通り

 【木曾街道】

かなり古い話ですが、1183年、以仁王(天皇の皇子)の平氏追討命令をうけて、木曾にいた源義仲【木曾義仲】が大軍を率いて都に攻め上る際に、松任から手取川を渡って小松へとすすみ、ついに京都に行って平氏を京都から追い出します。


その時、上京するために通った道を“木曾街道”と呼びますが本町通りと美川中町通りはその木曾街道にあたります。


町名から推測すると中町、南町、北町と3町であった本吉は、新たに新町・今町がうまれ、当時は浜であった浜町が誕生しました。そして波打ち際を意味する和波町が誕生し10町に拡大していったようです。

北陸新幹線に乗って美川へ行こう
北陸新幹線に乗って美川へ行こう

  【北前交易の繁栄】

白山市美川は、白山を源流として日本海にそそぐ手取川の河口に位置する古代からの港町で、近世は北前交易の本吉湊(もとよしみなと)として栄えました。

 

本吉と呼ばれていたころは北前船が出入りし、廻船問屋が軒を連ねた加賀第一の港であり、造船所も有した一大要港として繁栄した歴史を持ちます。

 

江戸時代、加賀藩によって「町」へと昇格し、加賀藩大坂回米の積み出し、肥料・海産物・木材の移入港として栄えました。

 

毎年1回運行されていた北前船は、春先まで大阪に停泊、春に大阪を出発して瀬戸内海から山陰を回り、北陸の地へと戻ってきました。

そして、北前船は、当時の蝦夷、北海道へ赴き、この地で捕れるニシンを大量に船積みし、大阪や京都へと運びました。

そして、美川の漬物産業にもこの塩漬けされたニシンは利用されました。

 

さらに、寄港地でそれぞれの特産品も売買もしました。

他の湊で購入した特産物を船で運び、販売、また違う特産品を仕入れて他の地域へと赴くのです。

 

代表的な交易品は、北海道の海産物と昆布、北陸から西日本にかけては米や酒などした。

 

春は西日本から東日本へと海を上り、秋は東日本から西日本へと海を下りながら、交易の旅を続け、11月頃に大阪に船を停泊し、陸路で美川の地にもどりました。

 

そして、この北前交易が美川に富をもたらし、おかえり祭りのお神輿や台車を製造する経済力の源となりました。

 

しかし、明治期以降の船舶の近代化と鉄道の開通が本吉湊の繁栄に終止符を打ちます。

【米蔵だった美川小学校の体育館】

美川小学校の新校舎は2010年に竣工しました。さかのぼること約100年前、明治41年7月に南町から現在地に移りました。

当時、北前船に米を乗せる前に使用した保管蔵を小学校の体育館に改造して利用したそうです。

 

この蔵から約50メートルのところに今も安産川が流れています。

当時、蔵から安産川まで、多くの頑強な男たちが米俵を担いで船まで往復したのでしょう。

 

明治31年4月に北陸線の小松-金沢間を鉄道が延伸開業したことを受けて、本格的な陸送の時代を迎え、保管蔵が不要となった時代背景がありました。

美川小学校の体育館と校舎
美川小学校の体育館と校舎
美川刺繍 ふくさげ祭り出展作品
美川刺繍 ふくさげ祭り出展作品

【一大産業となった美川刺繍】 

北前船の時代の終焉とともに、家計を助ける手内職として発展したものは「美川刺繍」です。

 

昭和3年には、工場数27、縫い子750人と一大産業に発展し、美川刺繍は日本各地へ展開され「加賀刺繍」の名で呼ばれるようになりました。

さらに、平成3年には、国の伝統工芸の指定を受け、貴重な技術を次の世代にと受け継いでいます。

手取川左岸から(湊側から)
手取川左岸から(湊側から)

【古戦場・手取川の戦い】 

話は前後しますが、戦国時代にうたわれた歌があります。

「上杉に逢うては織田も手取川 はねる謙信逃げるとぶ長(信長)」

この手取川の合戦を上杉側からうたったものです。

 

天正5年9月23日(1577年11月3日)に手取川において上杉謙信軍が織田信長軍を撃破した合戦です。 

柴田勝家率いる織田軍先発隊は七尾城落城を知らないまま進軍を続けましたが、途中で以前から勝家と不仲だった羽柴秀吉が、意見の対立から勝手に離陣するなど、すでに内部統制が乱れていました。

古戦場・手取川の戦い(小舞子海岸側から)
古戦場・手取川の戦い(小舞子海岸側から)

一方、織田軍接近を知った謙信は、直ちに七尾城を出撃、手取川付近にあった松任城に入りました。

 

勝家は全軍が手取川の渡河を終えた所で初めて七尾城落城と謙信軍の松任城入城を知り、即座に撤退を下命しましたが、その途上、謙信直率の上杉軍に追撃される。

 

川を渡るまでに手間取った上に、背後に川を挟む不利な配置だった事もあり上杉軍の騎馬隊に猛攻を受け、織田軍得意の鉄砲も豪雨の影響で火薬が濡れ使い物にならず、戦う術がありませんでした。 


呉竹文庫にはこの手取川の戦いの記念碑があります。

石川ルーツ交流館と藤塚神社
石川ルーツ交流館と藤塚神社

【県庁所在地】

明治2年に石川郡本吉町と能美郡湊村が合併し、石川郡と能美郡のそれぞれ1字を取って美川町が生まれました。


旧本吉地区は北郷、湊地区は南郷と称されましたが、わずか2年で湊地区が分離し、本吉地区のみが美川町の名を引き継ぎました。


明治政府は金沢県域の北辺に位置していた金沢県庁を、県中央部の美川町本吉奉行所に移転し、県名も石川県に改称しました。


これは旧城下町の金沢を避ける意味の方が強かったと言われます。


しかし、金沢の県庁復帰運動に加え、能登半島が石川県に編入されると、再び金沢に県庁を戻すことになりました。


石川ルーツ交流館はこの県庁跡地の傍にあります。


おかえり祭りの藤塚神社
おかえり祭りの藤塚神社

【おかえり祭りの藤塚神社】

江戸時代・藤塚山王として称していました。

 

明治の神仏分離令により本吉日吉神社となり、藤塚日吉社を経て、現在の藤塚神社となりました。

 

神社の山門は仏式を思わせるもので北前船の経済力を今に伝える風格を今に伝えてくれます。

 

言い伝えでは、安産の神・パワースポットの安産日吉神社とは、雄神、雌神の関係で、毎年春季例祭は、雄神が平加の雌神のもとを訪れるのだと言われています。

 

江戸中期より当社の春季例大祭として始まった「おかえり祭り」は、県の無形民俗文化財に指定されており、当社から鬼門の方角にあたる高浜の御旅所まで、13台の台車に先導された神輿が町内を巡幸し、五穀豊穣・家内安全を祈ります。

 

神輿だけではなく、蒔絵、漆絵など意匠を凝らした台車は、北前船主の経済力と当時の港町の繁栄を物語っています。

 【美川仏壇の誕生】

室町時代は応仁の乱の頃、戦乱を避けて京の都から浄土王国、加賀の国へ多くの人々が流入しました。その中に仏壇(厨子)造りの職人達も多く含まれていたといわれています。

 

石川県内には金沢仏壇、七尾仏壇、美川仏壇がありますが、美川仏壇は石川県で最初に仏壇製造が始まったと聞いています。

 

応仁年間(1467~68)に小松長吉が始めて、慶長年間(1596~1610)に 6 代長次が出て、声価を上げたといわれています。

 

湊屋村次郎 徳証寺の文化財
湊屋村次郎 徳証寺の文化財

その後寛政年間(1789~1800)には、伝統工芸として希少価値が高い堆黒(ついこく)と漆芸を考案した名匠・湊屋村次郎が現れ、美川仏壇を一躍有名にしました。その製品は全国に広がりました。

 

村次郎は塗り、蒔絵、象(ぞうがん)とオールランドの達人でした。

ことに漆、との粉、にかわを混ぜて練り固めたものを木型に押し当てて紋様を写し取り、仏壇の裏扉や柱らに貼り付ける「堆黒」の技法は、美川独特の技法として今日も受け継がれています。

 

北前船の寄港地として栄えた本吉港。造船技術に加え美川仏壇は海路で遠く北海道にまで販路を拡大していくなかで、船積みによる長い航海にも耐えうるために、他に類をみない堅牢なホゾ組木地が生まれました。

 

さらに、暴れ川の異名も持つ手取川の水害に悩まされ続けた環境からも、水害に強い塗りを施す必然性もあり、そうした中で堅牢な美川仏壇が生まれたそうです。

 

やがて第2次大戦前には仏壇従事者が200人を超え、仏壇の町として地元民謡にも歌われるほど繁栄したといわれています。 

美川の伝統的家屋
美川の伝統的家屋

 現在の美川町中心部は、碁盤の目に近い整然とした町割りに、江戸時代の「町」らしい町名が残されています。

 

しかしながら、風の強い美川には、度重なる大火もあり、伝統的な民家はそれほど多くはありません。

それでも、町の中心街には石畳がひかれ、「古い家並みと歴史」を案内する掲示物もあります。

 

そのなかでも新町筋には美川の伝統産業である堅牢豪華な美川仏壇の製造場と販売店が軒を連ね、かつ伝統的な家並みは必見に値します。

 

白山市美川・小姫公園の案内板
白山市美川・小姫公園の案内板

【ふぐの糠漬け】

美川の伝統産業の一つに四十物(あいもの)加工があげられます。いわしのこんかづめ、にしんの糠漬けとともに、ふぐのぬか漬け、かす漬けは珍味として知られています。

 

猛毒を持つふぐの卵巣をも食する執念と、自然と対話する先人の知恵に育まれた発酵技術は、猛毒を持つフグさえも無毒化しました。この無毒化の発酵技術は、科学的にはそのメカニズムを解明できていません。

 

塩漬け1年、糠漬け2年の時間と手間をかけて、無毒化するとともに一層味わいを増します。

 

この四十物業は文政以前から始まり、明治初期には 40 軒余の四十物屋がありました。しかしその後減少し、昭和初期には半減しました。これは北前船の発展衰退と同じトレンドにあります。

 

北前船の乗組員のファーストフードとして、糠漬けはなくてはならない食材だったのでしょう。

 

【御酒(ごんしゅ)と御酒最中】 

古くから歌い継がれている民謡に「御酒」があります。

この唄の中に「このごしゅうは、こんにちおいわいのごんしゅう~」があることから主題となっています。 北前交易によって九州地方佐賀県北西部の日本海に面した「馬渡島まだらとう」から伝えられたとされています。

 

北前船の交易が栄えた頃、11月から翌年3月まで荒天続きのため航海は休止され、船乗りは全員上陸して休養しました。

その間の12 月に慰労の餅つき、2月には起舟の行事が行われるのが恒例でした。

 

船主は船頭はじめ全船乗りを招いて、酒宴を催し、その宴席で唄われるのが「御酒」でした。

 

御酒は全員で唱和し、最後に主人側の祖父が一升入りの大盃をものの見事に飲み干し、手拍子目出度くお開きとなったとのことです。

 

この御酒にちなんだお菓子が「御酒最中」です。

「御酒最中」は美川のフタマサ御酒堂でお買い求めいただけます。 

島田清次郎の碑(美川大橋)
島田清次郎の碑(美川大橋)

【大正のベストセラー作家・島田清次郎】

島田清次郎は白山市美川で生れです。

生誕の地である手取川の美川大橋の横に碑があります。

 

早くに父・常吉(回漕業)を海難事故で亡くし、母・みつの実家で育てられました。

母の実家は金沢市内の茶屋街(西廓)で貸座敷も営み、この環境が後に、島田の文学と性格に影響してきたとか。

 

天才か、狂人か、ベストセラー作家から地に堕ちた男として、その狂気に迫る傑作評伝が風野 春樹の『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』(本の雑誌社)として出版されています。

他にも、森田信吾『栄光なき天才たち』(小学館)や杉森久英『天才と狂人の間』(河出文庫)もあります。

 

大正時代を流星の如く駆け抜けた作家、島清こと島田清次郎は、わずか二十歳で上梓したデビュー作『地上』が空前の大ベストセラーとなり、有名批評家もこぞって絶賛しました。一躍文学青年たちのカリスマとなっていくのですが・・・。 

 【日本最古の商工会】

JR美川駅前の美川商工会は、明治 19 年(1886)6 月、83 名の会員を集めて設立されました。

 

美川商工会は金石・松任商工会とともに県下で最も早い設立で日本最古の商工会です。

北前船の寄港地として栄えた美川には多くの肥料商(干ほし賀屋かや)が幹を並べ、石川平野の農村に金肥や雑貨を供給していました。

 

維新後、美川の干賀屋 20 軒余が明治 7 年(1874)3 月に「有限責任有終組」を設立し、肥料販売のかたわら持船泰洋丸ほか 1 隻を漕航させて、米穀売買や雑貨、荷受けなど北前交易もおこなっていました。

 

しかし、明治 15 年(1882)頃より不況が続き、生活にあえぐ者が続出しました。一方、北前交易にもかげりが見え始めて商況不振、船種交替が続く中、有終組は 20 年に解散に追い込まれた。

 

美川商工会はこうした苦境を乗り越えるため設立されました。

以降、商工業者の提携協力によって、業界の振興発展に貢献してきました。

 

徳証寺の記念碑
徳証寺の記念碑

 【若き日の鈴木大拙】

 

美川北町の大正通り沿いに浄土真宗・徳証寺があります。

 

ここはかって20歳の鈴木大拙が、美川小学校 教員として勤務しており、1890年(明治23年)から2年間下宿しました。後に鈴木大拙は仏教学者となり日本の禅文化を海外に広くしらしめます。

The Bell of Peace & Liberty
The Bell of Peace & Liberty

ここの梵鐘は「自由と平和の鐘」と呼ばれ鈴木大拙が英文にてThe Bell of Peace & Libertyと記名した刻印があります。

 

若き日の鈴木大拙はここ美川の地で、何を求め何を考えていたのでしょうか?

 

 【松尾芭蕉の碑】

美川南町にある浄願寺には、松尾芭蕉の塚があります。

 

俳人が俳聖松尾芭蕉追悼のために建てた碑で、当寺境内のものは美川の俳人若推が、藤冢神社下世尊院の山門前に寛保3年(1743年)11月に建立したものです。

 

その後、明治維新に際し浄願寺に移されました。


旧美川は人口4000人ですが、8つのお寺や観音さんが存在します。

美川にいらした際には、お寺も、ぜひ、お立ち寄りいただければと思います。

 

お寺や神社の地図は こちら から



また、美川には通称、「美川の観音さん」として、古くから慕われている真言宗世尊院の本尊「十一面観世音菩薩(ぼさつ)」が長屋町にあります。


秘仏ですので、御開帳の法要は通常33年ごとに営まれるとされていますが、世尊院の記録によると、1889(明治22)年8月に営まれて以来、平成27年1月まで開扉されていませんでした。

実に126年ぶりの御開帳となりました。


高さ約80センチの観世音菩薩立像が納められていた、とのことです。


観音さんの地図は こちら から


ふぐの飾り雛
ふぐの飾り雛

【ふくさげ祭り】

毎年3月の中ごろ、JR美川駅を中心に、ふくさげ祭りが開催されます。

平成25年から開催されています。

 

「ふく」は魚のフグ、「さげ」は魚のサケ、そして「祭り」は「おかえり祭り」。どれも美川の名物です!

 

これらの言葉の意味を含ませた「ふくさげ祭り」。

もちろん「福」を「さげる」・・・おめでたい雛人形をつるし飾るという意味を込めた、春のお祭りです。

おかえり太郎
おかえり太郎

展示以外の楽しいイベントも。〈つるし飾り制作体験会〉幸せのシンボル鳩も作ります。

JR美川駅1階ホール“ふれ愛”などで行っています。

 

みなさま、美川には美味しいお店や、素敵なお店もございます。

ぜひ、一度、美川においで下さい。 


アプリコットパークの杏
アプリコットパークの杏

旧美川の花は「杏」でした。それがご縁で美川にはアプリコットパークがあります。
JR美川駅の周辺や安産川の畔にも杏が植えられています。

 

桜より一週間ほど早く開花する花でとてもかわいい花です。

商業都市であった美川には畑が無く、飢饉になった場合などに備えて実も成る「杏」を重宝したのだと聞きました。桜よりも先に咲く先取りの心とともに、美川の住民に「杏」は親しまれたのかもしれません。


【出典】

 港別みなと文化アーカイブス - 比楽湊・本吉湊(美川漁港)

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 手取川の戦い - Wikipedia


残照の白山 手取川の右岸より 1月中旬

残照の白山
残照の白山
北陸新幹線に乗って美川へ行こう
北陸新幹線に乗って美川へ行こう

手取川の河口付近の右岸から以東は白山の御前ヶ峰はほとんど見えません。
お椀型に見える峰は大汝ヶ峰です。

最高峰の御前ヶ峰が見えない白山を見ることができるのは、ここ美川からの角度だけでしょう。


また、真冬の時期は、大気も澄んで最も白山が綺麗に見えるます。

 

夕焼けは2度訪れます。水平線に夕日が沈んだ直後に直接夕日に照らされるときと、夕日が沈んだ後に、空が赤く染まった空の光を反射して再び赤く染まります。つまり、白山は2たび赤く染まります。

 

天気の良い日には、せひ、美川においで下さい。

JR美川駅の展望コーナーからも綺麗な白山をご覧いただくことができます。

 

町内を流れる安産川
町内を流れる伏流水の川 安産川(やすまるがわ)

 ■アクセス

【車でお越しの場合】北陸高速道 美川ICから10分

【JRでお越しの場合】 金沢駅~ JR美川駅 20分

 

 

東京から

東京駅―美川駅 約3時間00分(北陸新幹線かがやき)

 

大阪から

大阪駅―美川駅 約2時間40分(特急サンダーバード)

 

名古屋から

名古屋駅―美川駅 約2時間29分(新幹線 + 特急しらさぎ)