北前交易の伝統が息づく

北前交易で賑わった美川には古くからの寺社があります。

 

ゆっくりと歩いてみませんか?
きっと今まで知らなかった美川をご覧いただけるでしょう。


蝶屋地区の寺社

 

藤塚神社内にあった世尊院(せそんいん)が明治の神仏分離令により現在地の長屋地区へ移転となりました。

 

「美川の観音さん」と慕われている「十一面観音菩薩像」をお守りしています。


 

室町時代の後期、通称道専山と称するところに、二木道専という豪族が菅公像を祠祀したのに始まると伝えられています。

 

菅原神社と称しましたが伊気神社と改称しました。

 

明治41年神饌幣帛料供進神社に指定されています。 



旧美川地区の寺社

宗大谷派に属し、元亀2年(1571年)に浄栄が開創し、延宝3年(1675年)に徳証寺と名乗るようになったと、同寺の由緒書は伝えています。

 

以前は美川南町にありましたが、安政5年の大火により類焼し、現在地に建立されました。

 

なお、内陣に安置されている開山御厨子は、堆黒の技法に秀でた蒔絵師・湊屋村次郎の作として、市文化財に指定されています。

 

また、仏教学者・鈴木大拙が、美川小学校高等科の英語教師として、明治22年(1889年)から2年間、この徳証寺に寄宿していました。その縁もあり、昭和22年に新鋳された梵鐘には、大拙の手による銘文「The Bell of Peace & Liberty(自由と平和の鐘)」が刻まれています。


芭蕉翁五十回忌にあたって、一七四三(寛保三)年、当時、美川南町にあったとされる世尊院前に翁塚が建てられました。

 

その後、一八六八(明治元)年、浄願寺(美川南町)境内に移されて、今も残っています。

 

塚の表には「芭蕉 曽良 北枝」、裏には「半百忌 撫てしる風雅の肌や帰り花 願主謹白 若推 時 寛保三 癸(みずのと)亥(い)霜月中三日」と刻まれています。

 

藤塚神社には芭蕉筆「南無天満大自在天神」の句軸が残っている(「美川町文化誌」)。

 

また、小舞子海岸に芭蕉句碑「ぬれて行くや人もおかしき雨の萩」が立っています。 



江戸時代には藤塚山王として称していましたが、明治の神仏分離令により本吉日吉神社となり、藤塚日吉社を経て、現在の藤塚神社となりました。

 

昔からの言い伝えでは、安産日吉神社とは、雄神、雌神の関係で、毎年春季例祭は、雄神が平加の雌神のもとを訪れるのだと言われています。

 

春季例大祭として始まった「おかえり祭り」は、県の無形民俗文化財に指定されています。

 

当社から鬼門の方角にあたる高浜の御旅所まで、13台の台車に先導された神輿が町内を巡幸し、五穀豊穣・家内安全を祈ります。

 

蒔絵、漆絵など意匠を凝らした台車は、北前船主の経済力と当時の港町の繁栄を物語っています。


湊地区の寺社